ロシア紙記事紹介

失われた領土のため指詰めをする日本人

<ロシアタブロイド紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」より転載>


 弊紙の特派員ダリヤ・アスラモヴァは取材のために日本に行った。日本人は果たしてそこまで切実にクリル諸島の返還を願っているのだろうか。

 

 東京。細長くて薄暗い部屋。木製パネルの内装。非の打ち所がないスーツを完璧に着こなしている10人の男性。高級なネクタイと竜頭のカフリンクス。『ゴッドファーザー』を思い浮かべるような、粛々としたこの雰囲気で唯一の女性である私は微妙に気まずい。これは長年にわたっていわゆる「北方領土」(日本におけるクリル諸島の名称)の返還を訴え続けている右翼団体の集いだ。

 

 裕福で政治に無関心な日本社会に敵の存在を忘れさせないのは他ならぬ彼らである。その敵は危険な闇の国、ロシアだ。小さい頃から全ての日本人の頭に叩き込まれている「火事場泥棒」という言葉はもはや我が国の代名詞になっている。彼らによると、邪悪なロシアは不可侵条約を破り、第二次世界大戦が終わろうとしているところに弱り切った日本を襲い、その火事場泥棒のようにクリル諸島を奪い取ったのだ。私は民族主義者の集まりに同席したことはただの偶然ではない。日本に数多く存在する秘密結社のリーダーである私の昔からの付き合いが紹介してくれたのだ。このような秘密結社は日本の文化の一部ではあるが、メンバーの推薦がなければよそ者はとても入れない。

 

 「カワハラさんの手を見てください」と言われて私は敬意を払いながら小指を欠いた手を見る。その持ち主は私の反対側に座っている男性だ。彼の目は激しく泳いでいる。

 「それはどうされましたか」と同情を込めて聞くと「自らがナイフで切って韓国大統領に送りつけた。韓国が戦後に日本の領土である竹島を占領したことに対する抗議なのだ」という答えが来た。

ただ、この人口のないちっぽけな島(そしてその隣にあるもう一つの小さな島)はそもそも日本が1905年に朝鮮から奪い取ったもので、韓国は戦後にそれを取り戻したことで自分の正当な権利を行使した事実に彼は都合よく言及していない。そうすると同席している全員は一斉に文句を言い始めた。警察のせいでロシア大使館にこのような小包を送るどころか、大使館の前で抗議デモでさえできないだって。警察のみなさん、ありがとうございます。カワハラさんがもう一本の指を切って大使館に送りつけることを想像するだけで吐き気する。

 私は笑い始めた。「無礼千万ですが、皆さんはクリル諸島の返還が叶わなかったら次に体のどの部位を切断するのですか」不気味な沈黙。そして爆笑。ホッとした。「バカガイジン」だからこんなことを言ってもタダで済む。

 

 実は私が一番恐れていたのはアガタさんだった。彼はもともとヤクザの親分だ。右翼団体とヤクザはある程度の通じ合いがある。非の打ち所がない髪型で羊皮紙のような肌色のアガタさんはとても落ち着いていて凛々しい70代の紳士だ。「三年前にヤクザをやめた。もう引き際だ。歳だし、若い連中に道を開けるのが筋だ」。彼は私たちの口論を注意深く聞いている。

 「旅順港のことはまだ許していない!」と私は叫ぶ。「ロシア帝国に対する侵略戦争のことも!日本はそもそも侵略者だ!侵略者から領土を取り上げる権利は国連憲章に書いてある。第二次世界大戦の結果の見直しは論外だ!」それに対して日本側は「日ロ不可侵条約を破ったのはあなたたちの方だ!絶対許せない!」と叫ぶ。「クリル諸島を放棄すると明言したのは外でもないあなたたちだ!」と私は叫ぶ。日本がクリル諸島を手放すことを約束したサンフランシスコ講和条約のことだ。「しかし誰に手渡すかは明記していない!」と日本側の一人が指摘する。

 「誰でもいいよ。ホンジュラスでも。一旦放棄したらそれを取り戻せないのは当たり前だ!」突然、私たちの口喧嘩にヤクザの元親分のアガタさんは低い声で介入する。「あなたたちが最初から語るべきことを語っていない。歴史は過去のことだ。私たちはみんな平和を望むものだ。10万人が命を落としたアメリカによる恐ろしい東京空爆のあの夜に私はまだ6歳だった。爆弾があちらこちらで炸裂する風景がまだ幼かった私には、とても煌びやか見えた。私はあの夜のことを一生忘れない。親が泣いている理由はあの時の私には理解できなかった。親は『あの飛行機は死を蒔くものだ』と説明してくれた。私はあの時の親の言葉を今でも覚えていてる。私は、ロシアとの平和を望んでいる。私はもう年齢だが、子供たちの世代のためにどうやって、どういう代償を払って平和が実現させられるかわからないけど、何としても平和な世界を実現させなければならない。この先に何が待っているか誰にでもわからないから」